2015年8月9日日曜日

酔い候え

私はよくわからないところに座って、これを記す。

酒を飲むようになった。
低血圧だからすぐに酔う。
私はあれだけ酒を毛嫌いしていたのに、飲むようになってしまった。
一つに両親の存在があるだろう。
両親の酒を飲む醜い姿、それに耐えられず酒が悪いのだと信じて疑わなかった。
親とは連絡を取らない。
大嫌いで何か言葉の一つ二つで殴りつけてやりたいが、もう関係したくない。
弟とも連絡をとらない。
弟とは仲が良かったはずだが幻想だろうか。
色々考えてみたが、弟と連絡を取ることで両親の話にならざるを得ず、醜い環境にあったことを思い出すから億劫になるのだろう。
どうしても陰惨な話になる。
こんな下らないことで弟と疎遠になることが悔しく悲しい。
もっと良い家族になりえたのではないかと、互いに支え合うような関係になりえたのではないかと夢を見ては感傷に浸る。
美しい過去もあった。
幼い頃、私が尻を出して笑っている写真がある。
父も、母も笑っていた。
人目気にせずただ楽しいことだけの、幸せな信頼できる家族に囲まれた日々。
今は人目を気にしては仮面をつけて人間と相対する。
けれどもこのころ苦しい。
仮面としての私が苦しいのか、仮面から露呈する私が苦しいのか、わからないけれど人と接することが、苦痛だ。
主に社内の人間との付き合いが嫌なのだ。
精神的な者などどこにもいない。
皆、おかしなほど下らないと思えるゲームに興じている。
出世のためにゴルフをし、社内の人付き合いを大切にし、そのくせ私個人と話すときには愚痴を零す。
本当に馬鹿馬鹿しい。
私とは弱者の掃き溜めの場だ。

とあるニヒルな笑みが似合う者が、悲しみを湛えた顔で「もう辞めるよ」と、虚空に放った。
あまりに他人事のように軽快な響きに聞こえたので思わず「誰がですか」と聞いた。
するとまた「もう辞めるよ」と先ほどと同じ調子で呟いたのだった。
そのときの私の感情を雑に表現してしまえば喜びだった。
こいつは暗さが垣間見えるという点、生きにくさを感じている点においては私の同類であり、ローモデルとなりうる存在だと胸が踊った。
「そうなのですか、僕はYさんには親近感を感じていたので、心細くなりそうです」と答えたときには本当に悲しみを感じていたが、今思えば、紛れもなく辞めるまでの景色を眺めていられるだろう蠕動した期待があった。
私も仕事をしたくない。
しかし、仕事をしなくなってしまったら私はどうなるのだろう?
あまりに無知で戻る実家も精神的な拠り所もない私はどうしたらよいのかわからない。
金が尽きたらどうなるのだろう?
本当に金が尽きてしまえば、食べることもできなくなるのか?
そんなことが全く想像ができない。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。
この諺を思い浮かべる度に、私は紛れもなく愚か者だと思う。
経験しなければ見えない景色もあるのはたしかだろう。
けれど、人はきっと全てを経験することはできず、そのために選ばなければならない。
私はいつかきっと仕事を辞め、貧困に陥るだろう。
そして生きながら学ぶのだ。
愚か者だ。私は愚か者だ。
…するとどうだろう、愚か者だと確信すると同時に心が軽くなる。
私は愚か者。

また明日から下らない仕事だ。
私は真夏にもかかわらずネクタイをきつくしめスーツを着る。
そうでもしなければ膨らみつつある私を抑えきれないから。
そうして汗をかきながら駅に向かい、電車に乗る。
ここでは皆溺れている魚のように顔を気持ち上に向けている。
私はそのような人たちを必死に見ている。
あくまでも私は眺めている者でお前たちのように溺れちゃいないと思いたいがために見ているのだ。
…そういえばそうした中で、世俗から離れた精神的な女がいた。
髪は整ってはいないが、横顔が美しく彼女もまたこの電車を上から眺めているかのような優雅さを備えていた。
私は思わず、一目惚れをし「精神的な見た目に惹かれました。連絡欲しい。」とメールアドレスを添えて白いメモを破り、殴り書きをして鞄に投げ入れたことがある。
絶対しなければ後悔するだろうと思っての突発的なことだった。
そのときの私とは何か偉業をなし得たかのように意気揚々と会社に向かったものだった。努めて冷静を装いこの感情を独占しようとした。
しばらく歩いて橋の近くに差し掛かると白い紙を投げ入れたことは、まるでショルダーバッグという膣内に射精したかのような、そういう一方的な行為だったと、良い比喩を見つけては一人満悦していた。

会社に向かうとき、高々と聳えるビルに縁取られた空を眺めては、きっとこの世には未だ私の知らない美しい世界があるのだと、その鼓動を感じては嘆息し、これから偽り明るく挨拶してしまうような現実に目を向ける。
明日も会社だ。
会社、なんて大人びた情けない響きだろう。
会社という響き、会社に属しているということが未だに信じられずにいる。
今日は酔って下らないことをまた書きつけた。
こういうとき、すでに酔いは醒めていて眺めている自分がいるんだ。

ああ、さようなら。