2017年1月27日金曜日

遅刻

遅刻という下らないことで信用を落とす。落ちたところで、それがもともとだという感覚が妙にオプチミストであり、かえって本来の自分に還ったという感を与えてくれるものである。

ほら、社会人失格だもの。
社会人失格と遅刻とは切っても切れぬ関係にあるのだから致し方ない。
変わりに君、数字という結果を残すのだから許してくれ給え。

私が遅刻をするというのはさしたる問題ではない、世の中を見てくれ。
私は一中小企業の社員で、世にはいろいろな幾多の会社員がいてあくせくと働いているのである。
私は会社と家が間近なので電車の中の溺れかかった魚のように口をぱくぱくとさせる人間を見なくなってしまったが、きっと今日の朝、労働者六万五千人ほどのなかの一万人は遅刻をしているに違いない。
それにだいたい私は気持ちの楽になる一週間の考え方というものをしている。

まずは金曜日をもともと休日と考え、週休三日制とする。
三連休の一日目を日曜大工してやるか、という感覚でいると平日の感が消えてくる。
これで平日は四日になる。
そうして月曜日火曜日、水曜日木曜日で分けて考える。
すると月曜日行けば平日の半分が終わる。
火曜日はこれで前半終わり。
水曜日は明日行けば週末になる。
木曜日はこれで明日から三連休。

このような感覚でいると非常に気が楽でいい。
こういう感覚でいるから木曜日の夜に決起会という名の飲み会をしてしまったのでなお気が抜けてしまったのである、もともと金曜日は休みなのだからそもそも遅刻という表現が可笑しいのだが。

ああ、虚しい!なんて下らなく情けないのだろう。

けれど語ることによって虚しさが浮き彫りになるというのは焦燥に駆られた心にとっては癒しなのである。
何事も急いでも仕方ない、遅刻をして私は急ぎながらも急ぐことの無意味さを感じたものだった。
なにをしようと言い訳ができる、虚飾できる。
この地点まで書いて見える虚しさというのは随分と味の薄いものであるがこれはこれで小気味がよい。